昔はお城、今は県庁
酷評するわけでは無いが、ここを目的として見に来るのは辞めた方が良いと先に断っておく。お堀や石垣は確かに立派だが、中に入ると立っていたであろうお城よりも大きい県庁がそびえ立っている。しかも機能しているので公務員・サラリーマンの出入りも非常に多い。あくまでも「ちょっと変わった県庁」である。スーツ姿のサラリーマンがスマホで写真撮っているか、ご近所の方の散歩道程度である。
石垣の上に上がった所。江戸時代にはここにお城があったそうな。今ではサラリーマンの休憩所である。いい感じにベンチが設置してあるので、花見のシーズンとしてはいいスポットになるのだろうか。
案外歴史はしっかりしている
今は大きな堀の中に県庁が聳え立っているが、昔はれっきとしたお城。かつては柴田勝家が築城し北ノ庄城として大きさも安土城に匹敵すると言われている。しかし、豊臣家との賤ヶ岳の戦いに敗れた際に、勝家はお市と共に自害して城にも火を放ち焼失してしまった。その後江戸時代には徳川家康の次男、結城秀康の居城として後に福井城と言われる城を築城した。
しかし、これも60年ほどで焼失。以後は幕府の財政悪化の為に再建はしなかった。その後も福井空襲や福井震災などを経て今の県庁が建っていると言う訳だ。そうやって歴史の勉強をしておけばもう少し福井城址を楽しめたかもしれない…。ちなみに今の福井城址のお堀は内堀であり、外堀はもっと広範囲に及んでいたが今では全て埋め尽くされている。百間堀と言って濠の幅が100メートル近いところもあったらしい、がそれも今ではJR福井駅の下だ。
福井県(当時は福井藩)の由来となった福の井はまだ存在しているので、福井県民なら一度は足を運んでみよう。
まあ、なんとも災難続きの城である。しかし、1600年代から福井藩・福井県の中心としてあり続けていられる事は非常に誇らしい事ではないだろうか。
桜の咲く季節の景観は良いと聞いたので、また季節が巡ってきたら今一度訪れたい。
福井城址 情報
住所 福井県福井市大手3丁
時間 無休
駐車場 城址西側に
料金 無料
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